SSブログ

虐待児を救うために、”孤育て”からの脱却をめざして [虐待]

kosodateimage.jpg 

 虐待児を救うために、保護者を支える視点 教員として  

 私たち学校の教員は、子育ては家庭の問題なので、保護者に任せておけばよいと考えがちである。それは間違っているわけではないが、子どものためにと考えた場合、保護者を支えるにはどうすればいいかと考える視点は必要である。生活していくのが精一杯で、子育てに向き合う余裕がなかったり、偏った子育てに陥ったりしている保護者がいるからである。  頻繁に家庭訪問をして保護者の相談に乗ることもよいことかもしれないが、多忙な教員の実態を踏まえると現実的ではない。可能な限り保護者の相談に乗りつつ、スクールカウンセラーをはじめとする相談機関につなぐことを念頭に置いておきたい。 地域の力を子育て、教育に活かす  登下校の見守りなどで地域の方の協力を得ている学校は多いが、教育に地域の方の力を活かしている学校は少ない。子育てに地域の方が関わっているケースも多くない。  少子化や核家族化によって地域のつながりが薄れる中、高齢者や障害のある方、子育てや介護をしている方などが、周囲に相談できずに孤立してしまうケースが増えており、”孤育て”が虐待を生んでいることもある。その解決の一助となるべく、地域の身近な相談相手として、必要な支援を行う「民生委員・児童委員」の存在がある。もちろん、保護者同士のつながりがあればいいのだが、それも希薄になっている中、地域の方が、”孤育て”をしている保護者と「民生委員・児童委員」をつないだり、保護者同士をつないだりしていただけることを期待している。学校、特に小学校は地域コミュニティの核になりうるので、教育に関わる地域の方が関わることの意義は大きい。ただ、学校の負担が増えてしまいがちなので、主体的に動いていただける地域の方の存在が必要である。

 行政の役割  

 制度設計や予算化等について、国・都道府県・市町村、それぞれの役割があるのはもちろんだが、保護者と直接つながる機会が多い市町村の役割は大きい。教育委員会と子育てに関わる役所の部署同士の連携、学校との連携は重要である。保護者との関わりは地域の方を含め、複数の立場で、複数の関係者がさまざまな方面から関わることで、保護者を支え、子どもを救うことにつながると考えているからだ。  この記事に関するご質問やご意見はもちろん、子育て・教育に関わるご質問をコメント欄にお書き込みください。できるかぎりお答えいたします。
教師教育ランキング






































nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

虐待児を救うために [虐待]

gyakutai 39.jpg 

 「日本の学校教育の「現場」で起きるトラブルの多くは、『親と対立しない』『親の怒りを鎮める』ことで、事態の収束を図れることができる」という記事を目にした。  確かにそんなことを思って日々過ごしている校長はいるかもしれないが、「子どものためになっているか」というポイントが抜け落ちてないかが重要である。教員として絶対にはずせないポイントである。  「今回の小学4年生女児のアンケート問題の本質に関しても、役所で生きる人々の『連携を嫌い、問題を抱え込むセクショナリズム』にあるという一面はあるが、このアンケートのコピーを父親に渡せば子どもだどうなるかは想像できたはずで、その責任は重い。確かに個人に責任を負わすだけでは、根本的な解決にはならないが、膨大な業務を抱えているとしても、そこで踏みとどまることができないなら、職を辞するぐらいの気もちはもっていてほしい。それぐらいの覚悟はして職についていてほしい。私を含め、全教職員は少なくとも子どもの命を預かっているという自覚は常にもっていたい。  「専門家の中には『こども省』のような独立機関を設けて、全国を統括して、今回のように、沖縄から千葉へ高飛びするような『越境虐待』にも対応できる『虐待問題の専門部署』をつくるべきという人がいる。『親が子どもをどう育てようが勝手だろ』と、子どもを所有物のように扱う者たちの親権を上回る強い権限をもった『関係機関のセクショナリズムを打破できる強い権限を持った組織』である。」という記事には同意する。  しかし、そのような機関ができたとしても教員をはじめ、児童相談所職員など子どもに関わる人々ひとり一人が、虐待されている(かもしれない)子どもを救うためにどうすればいいかを常に考え、「関係機関の蜜な連携」を図ることを忘れないことは必要である。
教師教育ランキング































nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

なぜ、虐待児を救えないのか。 [虐待]

gyakutai imag.jpg

 「児相には『支援』と『介入』という相反する機能があるが、児童福祉司の多くは介入の経験も知見も乏しい。それは学校や教委も同様である」という記事を見たが、それについては反論がある。  私は現役の教員であるので「介入」するということではないが、家庭訪問ができる。過去にネグレクトだったが、「教育は、今日行く」という教えを守り、家庭訪問を頻繁に行った経験はある。そのことで虐待を防げたとは言えないが…  「知見」についても、児童相談所(子ども家庭センター)などの関係機関や児童委員等関係する方々とケース会議を開いた経験がある教員も私自身を含め、たくさんいるし、そのような仕組みがあることを理解している者も多い。  心愛さんのケースは、教育委員会、児童相談所、学校それぞれの連携不足はもちろんだが、プロとしての責任感の欠如が最大の原因だと言える。父親に恫喝されたとしても、コピーを渡してしまったり、書かされた手紙を見せられたからといって父親のもとにかえしてしまうのはひどすぎる。  根本的な解決には、人員不足を補うための予算化はもちろん必要だ。しかしながら、私自身にも肝に銘じているが、今、教育に関わる全ての人が自分ごととして捉えないかぎり、またこのような事件は起きてしまう。それではこれまで命を救えなかった子どもたちが浮かばれない。  















































nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。